TOSS北海道 / サークル参加へのドラマ
■教職七年目の五月、私は悩んでいた。
「いつ教師を辞めようか・・・」
教室は暗かった。温かさのかけらもない。毎日毎日、教師も子どもも死んだような表情だった。
私は淡々と授業を終え、さっさと帰宅した。
■ある日、私は一冊の雑誌を目にする。
『教室ツーウェイ』六月号特集
「学ばない教師は我流で苦しむ」という言葉が飛び込んできた。
表紙をめくると、向山氏の言葉が飛び込んできた。一つ一つの言葉が胸に突き刺さった。
「授業というのは授業の原理・原則を学ばなければ上達しない」
「授業は、授業について熱心に研究し、勉強してこそ身につく」
「我流は、最初から最後まで全部駄目な教え方である」
私は一気読みした。
■「我流」という言葉を始めて知った。
これまで私は子どもにわからせるため、長い長い説明をしていた。
説明を続けながら、自分でも何を言っているかわからなくなっていた。
「できない子」はできないままだった。
「できる子」だけが授業に取り組んだ。
「これでいいんだ。できない子はその子が悪いんだ。家庭が悪いんだ。前担任が悪いだ」と思っていた。
私は目が覚めた。
「今こそ学ばないと俺はだめになる。生まれ変わろう!」
■私は無我夢中で友人に連絡した。
彼は真剣に悩みを聞いてくれ、サークルに誘ってくれた。
「授業の腕が上がります。一緒に勉強しましょう」というメールが送られてきた。
私の教師修業の第一歩である。
■サークルはすさまじいものだった。手が震えた。脳みそに汗をかいた。
「こんなに一生懸命勉強している教師集団は見たことがない!」と思った。
あっという間の3時間だった。
その後、メンバーと懇親会へ行った。感想を聞かれたが、「すごかったです」としか答えられなかった。
「また、来て下さいね」という言葉をたくさんかけていただいた。
その夜は、友人宅に泊まった。帰宅してからも、彼と教育について語った。
この日のことは、今でも鮮明に思い出す。
■教育雑誌など購入したことのない私が夢中に集め始めた。
授業についてこれない子どもを「子どものせい、親のせい」にしていた私は「自分のせいだ」と思うようになった。
「できない子をできるようにさせたい」と強く思うようになった。
私はTOSSの実践を追試した。
教師も子どもも変わった。
教室には緊張感があり、温かさもある。
冗談を言って、子どもを引き付けていた自分は存在しない。
先日、私もサークルを立ち上げた。
サークルのメンバーは「協力します」「何でも言ってください」と温かい言葉をかけてくれる。
TOSSで学ばなければ今の自分はない。
これからも学びつづけ、子どもにとって価値ある教師を目指す。