TOSS北海道 / サークル参加へのドラマ
■一年目、ノリと勢いで学級も授業もなんとかなった。
二年目、学級も授業もうまくいかなくなった。生徒たちがソッポを向き、指示も通らない。
数名しかいない生徒を相手にこうした状況に陥るなんて、自分が情けなくてしょうがなかった。
それでも私は心のどこかで「この子達とはうまが合わないんだ」「人間だもの、そんなこともある」と考えていた。
自分はサークルで学ぶ、ということはしなかった。
毎日毎日、学校のことで頭がいっぱいだったから、休みの日ぐらいは学校のことは忘れたかった。
それは裏を返すと「まだいける」という私のおごりでもあった。
■そのまま三年、四年と過ぎていった。
カウンセリングの勉強をし、生徒との人間関係の悩みはほとんどなくなった。
しかし、重大な問題が残っていた。
それは、社会科のテストで半分も取れない生徒が数多くいる、ということだった。
「楽しくてよくわかる授業がしたい」
それが赴任当初からの私の目標だった。
しかし、ちっともわからない授業を私は四年間続けていたのだ。
隅々まで目が届くはずの人数を前にこのざまである。
我流に我流を重ねた結果である。さすがにあせった。
根本的に自分の授業を変えなければならない。
このことに気づくのに四年もかかってしまった。
■そんな矢先、隣町の中学校へ転勤になった。
全校生徒二七〇名の中学校。そこにはS先生がいた。
S先生の授業を見せていただいた。
リズムとテンポのある授業、発問と指示が明確な授業、その流れの心地よさ、知的な授業とは、このような授業をいうのだ…!
「楽しくてよくわかる授業」
その方策を私はようやく見つけた。
本からだけでなく人から直接学びたい。
教職五年目。ようやくサークルの門をくぐった。